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家具産地 諸富家具の誕生
昭和40年代、高度経済成長が進み、企業誘致のもと豊富な労働力と広い土地を求めて、大川から橋を渡り家具関連事業が諸富へ押し寄せてきました。
昭和41年に諸富橋、大川橋が無料開放されると企業進出に拍車がかかりました。
家具の町諸富として形成を整え始めたのは、昭和44年。事業所が前線の16社から一気に倍増して30社の家具メーカーが誕生してからで、その後、産地形成のテンポはめざましく、昭和49年までの6年間、出荷額の対前年伸び率は、各年30%から80%近くの驚くべき成長を遂げました。
昭和55年には年間出荷額は100億円を超え、九州での家具産地としては、大川に次いで第2位の出荷額を確保し、新しい家具産地として確立することになりました。
諸富家具の今。くすぐる家具造り
産地としての諸富家具は、筑後川をはさみ隣接する大川家具と共に発展してきました。
しかし、昨今の家具市場の成熟化と益々多様化するニーズに応えるために、諸富家具は従来の家具としての機能を充分満たしながらも、ライフスタイルの一シーンを演出するインテリアとしての機能を果たす商品の企画から、デザイン的にも優れた家具の製造にカを注いでいます。
これからも、暮らしを豊かにする家具づくりを目指して、様々な取り組みをしていきたいと考えています。
諸富町の歴史
諸富町の歴史は徐福の伝説とともにあります。
今から2200年前、秦の始皇帝は中国統一を果たした後、不老不死を求め、徐福にその妙薬を探す命を下しました。徐福は童男童女3000人を連れて、有明海に着きました。徐福は大きな盃を浮かべて、盃がたどり着いたところに上陸をすることにしました。盃は諸富町寺井津にたどり着き、人々はそこを浮盃(ぶばい)と呼ぶようになりました。
このほか、上陸した徐福一行は生い茂る葦を払いながら進んだので、片側だけの葦の葉「片葉の葦」が上陸地から上流の川岸一帯に生えています。
また、北の聖地にビャクシンを植えたと伝えられていますが、新北神社の境内に樹齢2200年と推定される全国でも珍しいビャクシンが自生しています。このように諸富町のいたる所に徐福ゆかりのスポットと伝承があります。
諸富家具は、隣接する大川家具と同様に、当初は筑後川の水運を利用して船大工や木工業を営んでいましたが、旧国鉄の佐賀線の開通や筑後川への架橋で諸富町への家具業界の進出が盛んになりました。
また近年では、産業振興を図るために工場誘致が図られ、産業都市としての機能もあわせ持つようになりました。